この度WHITEHOUSEでは中島晴矢の3年ぶりとなる個展『ゆーとぴあ』を開催いたします。
中島は活動の初期から、日本文学、サブカルチャー、都市論等を補助線に、それらの意味構造を卓抜した想像力によって炙り出し、現代的な問題系として総合し作品化してきました。
2012年にギャラリーアジトで開かれた初個展『REACH MODERN』では、小説家・横光利一の活動や履歴を中島の身体に通過させながら、震災がもたらした喪失感と、失敗したプロジェクトであるところの日本の近代を重ね、本当の近代へと「リーチ」する方法を模索しました。2014年の『ガチンコ ─ニュータウン・プロレス・ヒップホップ─』では、新国立競技場建設案に端を発する都市と景観の問題を、中島の出身地である東京郊外のニュータウンを舞台にした野外バーリ・トゥード(ルール無用の何でもありの格闘の形態)パフォーマンスとして展開し、東京という都市の身体の不在を暴露しました。
その他にも、「オデュッセイア」に登場するペネローペを通して、アートや社会システムの絶え間ない引き直しの構造を再考した個展『ペネローペの境界』(TAV GALLERY、2015)。落語「井戸の茶碗」の清兵衛のように麻布を逍遥し、足を通して街を読み替える事で、あり得べき東京を想像力の上に立ち上げる個展『麻布逍遥』(SNOW Contemporary、2017)。未だ理想と祭宴の時代に取り残された2019年の東京を憂い、来るべき東京の素描を試みた『東京を鼻から吸って踊れ』(gallery αM、2019)など、中島は常に社会とその社会を決定づけているものへと思考を促し、その基底材から社会を再定義するような試みを続けてきました。扱われるモチーフも古典やアナクロニズムとして消費するのではなく、常に現在(いま・ここ)へと開かれたものとして現し、鑑賞者に長い時間の射程を与えると同時にヒリつくようなアクチュアリティとして現前させます。
中島のその脱構築的な手法と社会性、そしてユーモアは今回の個展『ゆーとぴあ』でも展開されます。
「どこにもない架空の国」を表すトマス・モアの「ユートピア」をアイロニカルに読み替え、日本のコントコンビ「ゆーとぴあ」のゴムパッチン芸によってマッシュアップするマルチチャンネルビデオ作品「ゆーとぴあ」を中心にして、本展覧会は展開されます。開催が迫る大阪・関西万博(『ゆーとぴあ』の会期中にオープン)を一つの参照点にしながら、分断と紛争の時代における真の「ゆーとぴあ」像を模索していきます。全体を通して、中島の作品の特徴でもあるある種のナンセンスさやユーモアが遺憾なく発揮された展覧会となっています。
世界の分断は苛烈に進み続け、離れた党派同士が連帯することなど夢想であるような時代へ向けて、アーティスト・ギャラリスト・あらゆるアート関係者が果たせる使命とは何か、私たちも日々模索中です。本展覧会で示されるであろう中島晴矢のアーティストの悩み葛藤する姿こそがこの時代の証言であり、あり得べき連帯へ向けた1つの可能性であると信じてこの展覧会をオープンしたいと思います。
多様であることと多様ではないことが不気味に両立してしまう、ユーモア不在の世界への小さな祈りとして。
WHITEHOUSE