磯崎隼士とのミーティングは鷹取山の山頂で行われる。横須賀市、追浜駅で待ち合わせ、かつて石切場だった山を歩き、人気のない磨崖仏を過ぎて獣道を登ると、立ち入りが無い巨大な岩壁が積み重なった頂に着りつく。海抜139メートルという低山ながら、三浦半島の中腹に位置することからパノラマを眼下に臨み、西と東には海が、南には街が、北にはさらなる低山とその尾根に建てられた巨大な鉄塔や車道が見晴らせる。耳にするのは遠い造船所の工場音と、辺りに潜む鳥の囀りや風のそよぎなど。低くなった空を重たく流れる雲からは、毎度、天井のような圧迫感が感じられる。日が落ちるまでの数時間、磯崎はそれらに見入りながら、言葉を選び、美や生命や一切合切への理に交え、展示プランを話す。
夜になる。肌寒くなってから山頂を降ると、山中に、10メートル程の巨大な石切りの崖に囲まれた、真っ暗な吹き抜けが現れている。切り立った暗闇の断面に近づくも、何も見えない。しばらくいても目は慣れず、距離感が狂い、いわゆる「戻ってこれなくなる」ような感覚に陥いる。下山して西友の明るさなどを目にすると、一体どちらが現実なのかと錯覚してしまう。
これが磯崎と重ねた会議であり、対話である。
まだ若いペインターがこの山に入るようになった契機は、3年前の瀕死体験(理由は不明)と、その影響で昨年始めた絵画シリーズ『極めて退屈に塗られた』の制作である。
血液を使ったその作品を、磯崎は、「どうしようもなく破滅的で、絵として成立しない本当にダメな絵」だと言う。が、「自分の死に対して作品を作っているような」没入感は代え難いらしく、血が「ただ塗られただけ」で立ち現れる美しさを説明するために、そして本展がこの山の延長にあることを伝えるために、磯崎は鷹取山を会議の場に選ぶのだ。そこで、カメラの長回しのように景色や暗闇を見続けていると、太陽の位置によって刻々と表情を変える、その世界の無為の変化と存在感こそが、彼の作品の有り様だと気づく。
本展は、
·外光のみを灯りとして使用。
·その変化のために営業時間は24時間とする。
·観客は会員だけでなく、一般客も対象とする。
·主催者は常駐しない。
·その代わりに、希望するWHITEHOUSEの会員は、管理者としてそこに宿泊できることとする。
以上の設計から、WHITEHOUSEの鍵は、会期中、24時間あいていることとなる。「閉ざす」でもなく、「開く(ひらく)」でもない。ただ「あいている」という穴のような状態が、作品やスペースの意図を空にする。
本展のタイトル『今生(こんじょう)』は、磯崎が働く認知症の人々のための老人ホームでふと感じる感覚である。今生の別れは日々訪れるし、来週には忘れているかもしれない。
本展での身体を賭した大作を、厳しい制作中にその言葉が唱えられた証のように思う。
卯城竜太(Chim↑Pom)