WHITEHOUSE

鈴木一平

モデルルーム

知らない人間から見れば、高架下で素振りをする中学生と、唇を噛みながらうなだれるスーツ姿の男になって、体の中身が開示されるまでの時間を夕暮れのなかで引き伸ばしている。指の裏で水をつまんで引っぱり上げると、波紋を連れながらゆっくりと縦にのびていき、向こう側の景色をあいまいにする。しばらくしてとなりの部屋から男がやってきて、机の上の水を挟んで椅子に座る姿が映り込む。肩の疲れが水面に波を立てる。部屋の窓から見える町並みは遠くで呼びかけられた声を取り次いで、どれほどの応答があったのかも無料で、だれよりも早く教えてくれた。

 

保育園の頃、喧嘩になった友だちの髪を引っぱったとき、体がふたつに分かれて、頭のなかに部屋が生まれた。天井が郊外の景色を反射し、半分開いたドアを通じて床の上に草が生い茂る。部屋が内面と呼ばれる私的領域の空間化として位置付けられるようになると、光の板になった窓ガラスが目まぐるしく位置を変えながら、その下を通る人の姿を街路樹の幹に書き込んでいた。伸びすぎた枝は切り落とされて見えなくなり、舗道を覆う視界は見えないものを通して広がっていく。いつの間にか実物の海を見る機会がなくなった、写真や動画の海ばかり目に入り、景色と結びつかない気持ちのために「空を見上げた」とおもった。空ではなく目よりもすこし高いところ、棒状になった街路樹と街路樹のあいだでざわめきが起こり、互いの情報が共有されている。とても近くで、

 

草が西日に盛り上がる体の影を刈り取っている。水を飲む。手の動きに呼応して、影は床の上で手招きをする。指先に密集する草がなびいて、影はふくらみを取り戻す。何事もなかったように首を差し出すと、草は首に向かって移動した。行為に関する言葉のすべては移動の性質を含むとおもう。集められた影の動きが部屋を抜け出して、べつの影と重なりあった。はみ出した部位は弾き出されて、部屋中の窓ガラスの底で。モデルルームとして運用される草の言葉が。郊外を掘り尽くしてここに来た。雨に打たれながら「あたらしい料理をおぼえた」、大人になって約束をためらうようになる、行きたかった場所や住みたかった部屋、いつか見たおぼえのあるほしかった靴、途方もない興奮の予感に喉を鳴らして、答えなければいけない呼びかけ、小さい頃どんな歌が流行っていたのか、心身が移動せず、参照可能な状態の変化や時間の経過も見当たらない場合、それは資源の採掘や材料の加工をあらわす語として、切った爪がなにかの部品に見えて、「だれもドアを叩かなかった」ということが起こり、

 

切れた電球を注文しながら、全身が草の感情を表現している。それがもう一度起こることへの不安から、建物は緑色の粉をまぶされて、わずかな身じろぎや鼻息で立つ風が目に見える。出入りする肌をなぞって、草は血圧を知りたがる。古い知人から連絡がくる。その人の昔の名前を呼ぼうとして思い出せず、おぼえていたとしても体のどこが振り向くのかわからなかった。遠くまで広がる透明な視界の群れに立ちふさがれて、目の動きに合わせて視界が傾くことで、ようやく見つめられていたことに気がつく。交差点の脇に白いバケツがあった。ピンク色の花がいくつも生けられて、その花が買われただろう花屋がすこし歩くとあらわれる。友人の家に招かれて、ベランダを見せてもらう。隅々まで広がる空の下に町が広がっている。最後にみんなと会ったのいつだっけ? 体が行為を意図する前、意図が組み立てられるまでのすき間に草が潜り込み、ビルの向こうを「ビルの向こうを鳥が点滅しながら飛んでいる」とおもった。

 

鈴木一平

1991年、宮城県生まれ。

詩の制作のほか、いぬのせなか座ではパフォーマンスや複数人での朗読も行う。2016年に第一詩集『灰と家』(いぬのせなか座)を刊行、同書で第6回エルスール財団新人賞受賞、第35回現代詩花椿賞最終候補。

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