WHITEHOUSE

 

松田修個展

「ルンペンプロレタリア 〜模作で史を編むヘイヘイホイプロジェクト①〜」

・会期

2025年6月7日(土)〜6月29日(日)

15:00〜20:00 ※金土日月のみ開廊

 

・会場

WHITEHOUSE

入場料 : 500円

 

・キュレーター

卯城竜太

 

・協力

五十殿利治、佐々木千恵、無人島プロダクション、渡辺志桜里、阿部優哉

 

・素材監修

髙橋銑

 

・寸法監修

秋山佑太

 

・引用元

岡本唐貴《ルンペンプロレタリア》、木部正行《労働組合標語宣伝旗》

ちょうど100年前、大正最後の年であり、昭和の幕開けでもあった1925年に、一つの特異な作品が発表された。その名も《ルンペンプロレタリア》。のちにプロレタリア美術の旗手となる岡本唐貴による、極めてダダイスティックな、現代に置き換えれば大型インスタレーションと呼べるような作品である。

展示会場で拾い集められたファウンド・オブジェクトによって構成されたとされる本作には、縄梯子やサイズオーバーした草鞋、走り書きの差別語と思しき言葉、さらには「オナニーで汚れたる猿股」など、見る者に不快感すら与える素材が並んでいた。記録写真には、その背後に、今や美術史の記憶からも忘れられた作家・木部正行による大作《労働組合標語宣伝旗》が写り込んでいる。

その100年後。プロレタリア美術へと舵を切る直前、岡本唐貴によるダダイズム最後の作品とも言えるこの問題作を、素材研究やサイズ、展示方法に至るまで、作家としての立場から丹念に分析・解析しているのが、アーティストの松田修である。

松田は、兵庫県尼崎市の新地で育ち、自身の背景――貧困や社会的な周縁――をテーマに作品を制作してきたアーティストである。「スラムの美術家」を自称し、美術史のなかで取りこぼされてきたその筋の物語を可視化すべく、ユーモアをもって作品制作を続けてきた。だが今回、松田が挑むのは、自身の作品ではなく、他者の作品に対する「模作」という方法である。

大正期の新興美術運動におけるダダは、そのラディカルさゆえ、現物がほとんど残っていない。あまりにも反芸術的であり、記録媒体も乏しく、多くの作品はタイム/サイトスペシフィックに制作され、そのまま失われてきた。美術館においても、現存しないことを理由に展示されることがなく、その重要性が十分に伝えられていないのが現状である。

松田は、まるで「なかったこと」にされているかのような状況にある作品群を、自身の作家性と背景に基づいて「模作」することで、それがいかなる作品であったのかを観客の前に呼び戻そうと試みている。たとえば、本作においては、草鞋のサイズを分析することで、それが死者のための「後飾り」であった可能性が示唆され、また、インスタレーションに吊るされた着物は、農民の作業着である「野良着」であると推測されている。模作という行為は、単なる視覚的再現にとどまらず、作家の意図や当時の社会背景、展示環境までもを浮かび上がらせることで、時代を超えてアートのリアリティを立ち上げる可能性を秘めている。

松田が《ルンペンプロレタリア》と出会ったときの衝撃は、まさに日本美術史に対する自身の認識を根底から覆すものであった。アカデミックな教育を受けながらも、日本の現代美術とはあたかも戦後美術に始まるものだと捉えてきた松田にとって、自らと同じ問題意識を抱く作家が、すでに100年前に存在していたという事実、そしてその作家が、松田がかねてより問題視してきた「美術史に記述されてこなかった貧困層の物語」に取り組んでいたということは、あまりにも大きな驚きだった。しかし、そうしたダダイズムに基づくラディカルな方法は、唐貴自身によって放棄され、彼は政治的リアリズムを手法とするプロレタリア美術の代表的作家へと変貌していく。この、大正から昭和へ──戦前から戦中へと向かう激動の時代は、アーティストの政治性や社会的役割が高まる現在と響き合い、振り返れば、松田が作家となった2000年代以降、ユーモアの通じにくくなった社会状況ともオーバーラップするようだ。

「模作」という手法は、「再制作」とは本質的に異なる。「再制作」が、多くの場合、遺族や関係者の意向を踏まえ、作家としての主観的な立場から行われるのに対し、「模作」は、絵画の模写や彫刻の模刻のように、他者としての視点から作品に取り組む方法である。これは主に、美術大学や予備校など教育現場において実践されてきた手法でもある。松田は、自らの「スラム出身」という出自に、アカデミックな訓練を受けた者としてのもう一つのアイデンティティを重ね合わせながら、この「模作」という方法にたどり着いた。

「スラムの美術家」による、美術史への無理矢理で、しかし極めて学問的な介入――。まさに松田の作家史における第二章の幕開けとも言える本プロジェクトによって、WHITEHOUSEには、100年の時を超えて、岡本唐貴の幻の作品がいま再び観客の前に姿を現すという、倒錯的な風景が立ち上がるだろう。そしてその先には、数多の失われた作品が現代に召喚されていく未来——日本現代アート史の再定義が予想される。

卯城竜太

P.S. 本展は、現在丸木美術館にて開催中の「望月桂展」、前回WHITEHOUSEで開催された「大正異在共芸界」と並び、僕にとっての「大正三部作」とも呼ぶべき位置づけを持つものである。併せてぜひご高覧いただければ幸いである。

僕は、僕自身のアイデンティティの基となる「スラムの」文化資本、美意識などを美術史に書き込むことを、ほとんどの動機として活動を行ってきた。そもそもそれは、僕がアカデミックな美術大学で学んだ歴史のなかに、そのような「僕ら」の美学が反映されているとは到底思えなかったことを起点としている。その頃、僕や「僕ら」の物語は、無であるかのようにすら思えた。

それから十数年後、僕は卯城竜太が誘ってくれた、その卯城との美術手帖での対談連載をすすめていくなかで、自分の作家としての価値観を揺るがす出会いを果たす。それは1910年代から20年代の、いわゆる「ダダ」に影響を受けた作家の作品たちで、なかでも今回のプロジェクトの引用元となる岡本唐貴の≪ルンペンプロレタリア≫には、強く惹かれたのだった。そして、調べをすすめるにつれ、それは共感ともいうべき感情に変わっていった。なぜなら学生時代には見つけられなかった「僕ら」の物語が、≪ルンペンプロレタリア≫にはある気がしたのである。

「……神妙な不快さが陳列されてあった。これはその当時の私の、ダダイズムを今一度どん底にたたきつけたような表現物であった。規制の芸術根性に対する、だから又自分の中の芸術屋に対する徹底的な否定であった。」(岡本唐貴自伝的回想画集から抜粋)

この回想は岡本による、自身の≪ルンペンプロレタリア≫へ向けたものであるが、僕もまた、貴族的にもみえる美術史への疑問や嫌悪が活動の動機としてあり、この回想の続きにある岡本の「自己否定」と「生への肯定」にも、僕は作品を作り続けるアーティストとしての矛盾と衰えぬ意欲とを見てとり、強く共感したのだった。

しかし、この≪ルンペンプロレタリア≫は「残されなかった」。岡本唐貴によっても。だからこの作品を具現化するにあたって、僕は「再現作」ではなく「模作」という言葉を使いたい。この作品が現存しないことに岡本への最大限のリスペクトを持ちながら、過去にあった絵画を模写するように、彫刻を模刻するように、「模作」する。つまりは、この目で見たい、あるいはもっと岡本唐貴の美を「会得したい」という僕のエゴの産物でもあるのだが、同時に、≪ルンペンプロレタリア≫が広く重要な作品として鑑賞され、僕でいうところの「僕らの物語」を孕んだ稀有な作品であるとの評価を得ることを、強く望んでいる。そのための「模作」。現代の作家である僕によって再解釈された、「復活」ではなく「召喚」。それが、個人を超えて社会の構造や歴史を照らし出す、「芸術の公共性」を示すようなことになればと考えている。

最後に少し触れれば、このプロジェクト名は「模作」と、演歌である「与作」の歌詞を掛けた我ながら酷いタイトルなのだが、このフザけないと死ぬのか?という強迫観念に似た態度こそが、僕の態度でもある。僕は自分の表現物を「呪い」と表現することがあるが、僕こそが尼崎の貧困地域の、尼人の、「呪い」にかかっている。与作が何気ない木こりの生活を描いているのに対し、僕の何気ない生活は、そんな「尼人の呪い」そのものなのだ。このプロジェクトも、もちろん「呪われている」。そして、プロジェクトは①、②、③……と続けていくつもりだ。

松田修