WHITEHOUSE 003 渡辺志桜里の初個展『べべ』を開催します。
渡辺志桜里は、2019年にデビューした、独自の生態系や、ジェンダーの視点から天皇制を扱うアーティストです。特に昨年参加したグループ展(「Dyadic Stem」(The 5th Floor、高木遊キュレーション)、「ノンヒューマン・コントロール」(TAVギャラリー、西田編集長キュレーション)や、「Waiting Room」(ドイツ文化センター、中島りかキュレーション)が、それぞれに環境など現在のダイアログを体現したメルクマールなものとなり、注目を集めるようになりました。
代表作「サンルーム」は、植物、魚、バクテリア、線形動物などをそれぞれ水槽に分離させ、それらを繋いだホースで水を循環させることで、自動の生態系を作り出す「システム」です。全てホース上に点在し、その円環の内側には何も存在しないという構造を持ちますが、その生態の豊かさと「空虚な中心性」のイメージを、渡辺は皇居に求めてきたと言います。
東京の空虚な中心であり、日本の「精神性」の中心……皇居は、実はそのすぐそばで産まれ育った渡辺にとっては、身近な大自然であり、しかし立ち入りが許されない不思議な場所でした。
渡辺は20代の多くを山中で過ごし、狩猟などに明け暮れていたといいます。渡辺が「生き物を殺めて食べること」に惹かれたのは、自分が循環の外側にいたような不自然さからでしたが、その背景として、誰をも政治的に外部とする原生林化した森・皇居を真横に育った影響は大きかったでしょう。
初期「サンルーム」(2017-)の植物と魚、水は、全て皇居から採取されました。5年が経過し、お濠の水は雨水に引き継がれ、皇居の雑草は枯れ、代わりに植物はいくつかの固定種の種と、それらの交配によってシステムに適応した野菜へと変わりました。魚は皇居のモツゴから、金魚へと代替え。「サンルーム」を更新するたびに、渡辺は、その固定種同士の交配にみる純血論や、金魚の繁栄という人工的な種の継承など、様々なものにやはり皇室の宿命を見てきたと言います。
本展での「サンルーム」には、更に、皇居で釣ってきたブルーギル、富士山由来の溶岩、緑藻、そして外濠で採取されたイトメが加わります。ブルーギルは、昭仁上皇にシカゴの水族館から食用として献上され、日本に初上陸した外来種です。
「サンルーム」は、このように、完結しないことで分散性と拡張性を特徴とする作品ですが、そもそも展示される循環自体も、屋内では完結せず、雨水や電気など、外部との接続によって維持されます。思弁的に「人類絶滅後」や「ノンヒューマン」といったテーマで良く語られる本作ですが、渡辺は電気の存在を、あくまで「人類が続く限り供給可能」なものであると捉え、その矛盾を、だから「サンルーム」は電気が止まるまで、つまりは人類が存続する限りは観られるものであり、電気は「鑑賞の条件」なのだ、と全面的に受け入れています。
また、本展で渡辺はその拡散性を更に広げる「道具」として、「人間」を使うことを目論みます。これは、 人々のいくつかの「営み」が期せずして何かの生き物を世に移動させる、という流れを生み出す試みです。
そもそも皇居というノンヒューマンな場所から生まれた「サンルーム」は、しかし同時に人々に観られる「作品」です。渡辺は、これまで抱えてきたそのバランスの悪さ……「人間」をあえて本展に「取り込む」事で、展示を外側へと拡散しようと考えました。
パンデミックが人間の活動によってグローバルになったように、いまの世界は些細な動きが連なることで、巨大なダイナミズムを生み出しています。どんなに小さな活動も、その影響が世界の裏側まで直ぐに伝わるかのようです。
渡辺はまた、(それを体現するかのように)これまで幾多の展示会場周辺で、外来種の種を蒔いたり、近所の動物とコミュニケーションを測ったり、密かな活動を日課としてきました。渡辺にとって「展覧会」とは、その周辺環境との共振であり、彼女の所作が及ぼす生態変化の機会なのかもしれません。
渡辺志桜里の初個展『べべ』は、このようにWHITEHOUSE全館を使ったインスタレーションと、鑑賞者の活動、そしてきっと多分、渡辺の密かな日課によって展開されます。それが世界の何を作り替えるかは謎ですが、まずは「グローバル」という価値観がついにオワコン化した現在のその先の、「プラネタリー」な時代の到来を告げるものとなるはずです。
是非ともご高覧を。
※『ベベ』は渡辺の自宅にたびたび訪れる野良猫の名前です。近所では様々な名前で呼ばれ、下町を伝える有料写真素材としてもネットに登場。(『ベベ』という単語ではヒットしません)
卯城竜太(Chim↑Pom)