WHITEHOUSE

秋山佑太 個展

『supervision / スーパービジョン』

 

Section 1.

WH-010『supervision 』

 

WHITEHOUSE、西武新宿駅前通り

 

Section 2.

『super vision / deportare 』

 

デカメロン、歌舞伎町公園⇆新宿中央公園

 

キュレーター

卯城竜太(Chim↑Pom)、黒瀧紀代士

 

 

DATE

2021年8月1日〜9月5日

 

Time

WHITEHOUSE 18:00-22:00

デカメロン 18:00-26:00

他 24hours open

 

Close

月、火

 

Fee

WHITEHOUSE パスポート会員は無料、非会員は¥500+1ドリンク

デカメロン ¥500

他 Free

 

協賛: 吉野石膏株式会社

協力: Smappa!Group、歌舞伎町商店街振興組合

 

 秋山は、2016年の自身を含めた共同企画展『バラックアウト』を機に、震災や仮設などをテーマに活動を始めたアーティストです。以降、アートと建築を横断しながら、スペース運営、キュレーション、アーティスト活動、建築、教育など、様々な立場から活動を展開してきました。

 初個展となる本展は、そんな秋山のいちアーティストとしてのアイデンティティにフォーカスする初の機会となります。デビュー以来、秋山は、「建設作業員」という自身の仕事を表現へと転ずることに、一貫してこだわってきました。一方で、活動や視点が多岐に渡ることから、それは他の多面的な側面と平行し、各イベントのステイトメントとしては集中的に語られてきませんでした。その多様な「表現活動」は、しかし当の秋山のことを考えると、自身の労働に基づく暮らしを相対化するよう繰り返されてきた、「人生との対峙」のようでもあります。

 国立競技場近くの3階建てのギャラリー(eukaryote)で、階段を昇降して運んだ石膏ボードを屋上に積み上げ、その上から建設中の競技場を眺める作業員へのオマージュ。「墨出し」の動きをコレオグラフィーとして踊り、ループし続ける映像。肌に有害である生セメントを口に含み、唾液と咀嚼でフォルムを形成し、それを3Dスキャン/プリントで自動複製し続けたインスタレーションなど……、秋山の淡々と1つの所作をし続ける作業的な作品群は、例えば、Tehching Hsiehの、タイムカードを押し続ける行為や、恋人と繋がれ続ける行為などを1年間繰り返した「ワンイヤーパフォーマンス」などに通じる、極めてミニマル、作業的なものです。

 しかし秋山は、そのワンイシューに収束することなく、キュレーションもする広い見地から、時にはバイオロジカルに、時に公共性を取り入れ、また新たなテクノロジーを貪欲に使い、それを様々な形態や思想へと抽象的に落とし込んできました。概念的に観客をケムに巻くその先端的な手法は、しかし逆説的に、抽象化することで作業を多角的に客観視するような、それで改めて労働と向き合えるような、なにか「泥沼にハマる」方法のようでもあります。

 作業的な日々とアートを引き換えること。しかしそれでも逃れられないそのトラウマを、秋山は、「建設作業ってトラウマの連続なんですね。正直…マッチョに生きる精神力が無いと続けられない。大量の建設材料を運んだり、無限にビスを打ち続ける日々だったり、まわりでケガ人が出たり(ときには死人)それらに関連した材料や都市の風景が脳に焼き付いて、普段から吐き気がするんです。例えばこの新宿にいても建設材料をみかけて、過去のトラウマがフラッシュバックして気分が悪くなることもあります。」と、酒に逃げることの自己分析として語っています。

 今回、中央公園と歌舞伎町公園というアースダイバー的な関係を持つ場で繰り返される日課のような行為は、そんな念が直接作家に作用した、「やむにやまれぬ」表現として立ち現れてきました。歌舞伎町で石を拾い、それと似た石を中央公園で探し、毎日1セットづつそれらを歌舞伎町公園に並べていく……炎天下のなか5輪の開会式からパラリンピック終了までの日にちを毎日数えていくような、そんな営みを行うにあたり、そのマインドを秋山は、「アーティストとして作業員を演じる」ようなものだと語ります。「ミニマルな作業」を表現として行うことでトラウマを相対化するその行為は、儀式のように、東京に暮らす私たちはもちろん、カオスな日々に突入した日本人や、秋山自身へと捧げられます。

「復興」からはじまり、「オリンピック」にいたる都市の解体と建設が続いたこの10年、スクラップアンドビルドの時代に登場したアーティスト・秋山佑太の初個展。東京五輪の最中に、都庁の真下と歌舞伎町、そして大久保で淡々と動き続ける秋山の姿は、新たなインフラや街の恩恵に預かる私たちにとって、「鑑賞」以上に「直視」すべき対象となるはずです。

卯城竜太(Chim↑Pom)

 新型コロナウィルスの影響により、2020 年に日本で行われる予定であった「東京オリンピ ック」は、建築/建設土木作業員達を措いて中止か延期の協議を行なっていた。不要不急のお題目の下、作業員達は『作業を行い続ける』という点で、コロナ以前とはある種変わらない日々を強いられていたのであろう。 それは決して建築や建設土木現場に限った話ではないのは自明なことだが、私が使う『であろう』という表現は、建設現場が「内」と「外」とを隔てる境界を設け、公に掲示されている工程表は進行を指し示し、建設過程や作業員達の実態を私は想像をもってしか語ることが出来ない為である。  つまり、私が見ている世界とそして私が関与出来うる世界以外は、そもそも私が知り得ることの出来ない世界の筈で、他者の心情を盲目的に解釈し、私(達)は何故かその知り得ない世界をあたかも知ったような態度で主体的に想像する癖がある。至極、主観的な立場から。

 ただ、知り得ない世界への接続には想像(力)は不可欠であり、私(達)はその想像(力)を足掛 かりとして世界を拡張してきた。

 世界の複雑さとはそこに存在しているのかもしれない。

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 デカメロンでは秋山佑太の展覧会名に「sports」の語源とされる「deportare」を加え、『super vision(スーパーヴィジョン)/ deportare (デポルターレ)』と題し、美術作家の渡邊拓也を迎え作品を併置し、とある作業員の視点から世界の拡張を試みる。

 

 「私の位置の変化は、原則として私の視野の一角に現れ、つまり『見えるもの』の地図の上 に記録される。私が見るあらゆるものは、原則として私が届く範囲のうちに、少なくとも視野のうちにあり、『私がなすことのできる』地図の上に印づけられるのである。上記の二つ の地図は、それぞれに完璧なものである。見える世界と私が私を投げ入れている運動は、それぞれに同一の存在の全体の部分をなしている」。

モーリス・メルロ=ポンティ「目と精神」より

 とるに足りない規則的な動作(運動)の連続を見ていると、ある時にふと美を感じてしまう瞬間がある。それは全体の目的に向かった部分的な行為の連続の中で、その部分的な行為自体に目的を見出し、倒錯した瞬間に。 そして、行為は身体と視野が密接に関わり合い、相互的で両儀的な同一性の存在が立ち現れる。その同一性は「止揚」の運動を欠きながら果てることなく続いていく。

 本展覧会名の「deportare」には「憂いを持ち去る」や「荷を担わない、働かない」という語感の語でもある。 本年行われる事となった「sports」の大祭の為にどれだけ多くの人が土台となり荷を担ってきたのであろうか。そして、その従事者の憂いはいったい誰が持ち去ってくれるのであろう。

黒瀧紀代士

『I was killed by supervision (監督に殺された)』

 ある作業員は意思なき労働者として扱われ、指示通りに働き、その過程と成果は常に監視化にあります。知識労働者以外の人間は全員監視されています。それがスーパービジョン(監督)です。

 「世界中で多くの子供たちがマインクラフトをプレイしている。マインクラフトの世界では先ず穴掘りをする。地面を掘って、土・石・木など原始的な素材を採り、それらを加工して、建設資材や作業道具を作る。」

 「コンクリートは自然界の岩石をもとに人間が発明した。海底に住む生物の死骸が珊瑚となる。それが堆積して大陸プレートにぶつかり、陸地に石灰岩が出来る。コンクリートの主材料であるセメントは、その石灰岩を加工したものである。」

 「いま街中にある建物たちを見渡す。それらを建てるにあたり使われている建材の多くは、ホームセンターで誰でも買える。日本の住宅の壁と天井は、ほぼ石膏ボードで出来ている。みな、石膏ボードに囲まれて暮らしている。しかし殆どの人は、それを知らない。」

 現代において、小さな事も大きな事も、ずっと続く事も一度きりの事も、多くの場合、常に監視されています。だから意思を持つのです。でないと、殺されます。

文責 秋山佑太

秋山佑太 (美術家・建築家)

1981年東京都生まれ。建造物を扱い「移動」「集積」といった方法で、複雑な時を刻んで来た建物に「地霊」を呼び起こす作品を制作。

近年の主な企画展示に、2021年「破線と輪郭」展(ART DRUG CENTER ・宮城 )、 2020年「芸術競技」展(FL田SH・東京 )、2018年「モデルルーム」展(SNOW Contemporary・東京) 「新しい民話のためのプリビジュアライゼーション」(石巻のキワマリ荘ほか・宮城)、2017年「超循環」展(EUKARYOTE・東京)「グラウンドアンダー」展(SEZON ART GALLERY・東京)、 2016年「バラックアウト」展 (旧松田邸・東京)など。