3人組アートコレクティブ・クサムラマッドラット(通称クサマラ) は、スリーピースバンドや漫才トリオとしても活動もしつつ、それぞれに漫画や格闘技なども極めようとする、完全なるホモソーシャルです。
ヤマムライッキ、ホコジーニョ王子、オオムラチカラは広島市立大学で出会い、非常勤講師だったオルタナティブスペース・コアの久保寛子(彫刻家)を母としてクサマラを結成。
HPのステイトメントでは、
「クサムラマッドラットは誰よりも愛と平和を愛する超芸術集団。立体、絵画、インスタレーション、映像、音楽、芸能など表現方法を選ばず制作し続けている。意識よりも肉体、直感を信じ、行動、制作している。」
と、超簡潔に自己分析されています。
聞けば、彼らのルーツは宮本武蔵。言わずと知れた剣聖ですが、鞍や弓や木刀、連歌、書、水墨画などの制作に励んだ芸術家でもあったそうで、そのいくつかは国の重要文化財にも指定されているそう。にも関わらず、「1つのことを極めると何でもできる」とその多ジャンル性と肉体的なカタルシスを読み解いて、ルーツとまで言い切る作家は、残念ながら多分今や最早クサムラマッドラットのみ、という現代美術史上、闇とも言えるセレブリティです。また、「コンセプトをやる人はもう沢山いるじゃないないですか」とハイコンテキストなアートをよそ目に彼らは、共感する存在として、「偉そうじゃないから」と旅芸人を挙げます。
そんな知性のメインストリームから外れて我が道を往くクサマラが、本展において注目するのはネアンデルタール人。ホモサピエンスと違って力が強く、社会性を必要としない狩猟スタイルから少数で暮らした旧人です。故にかつては、協働しない(その先に宗教を持たない)とされるネアンデルタールは複雑な思考や創造性を持たず、「芸術をしなかった」と見做されていました。が、近年の幾つかの発掘により、むしろその特徴が逆説的に作風となったような……サピエンスが作ったプライマリーオブジェクトなど機能的な道具とは異なるインスタレーションや彫刻など……用途が全くわからない身体的/抽象的な創作があったことが実証されています。その発見は、「人類」の芸術史が「知性」を特性とするサピエンス全史よりも遥かに長かった可能性を示し、そしてそれが具象的な洞窟壁画ではなく、一見コンテンポラリーな抽象表現や空間芸術だったという推論(というか殆ど僕の自論ですが)を仄めかしています……面白すぎるので以下リンク!
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/052600187/?ST=m_news
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/photo/stories/21/070700037/?ST=m_photo
https://www.google.com/amp/s/www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43165670.amp
さて、そんなクサマラの展示はこんな感じになる予定。
↓
・二階のネオダダの壁画部屋にあるトマソン化した廃ドアから入る。
・ロフトから無数の立体作品で構成された洞窟の中の3人を見下ろす。猿山てきな。
・3人は9/23~26日の4日間そこに滞在し、制作とバンド、格闘技や漫才や生活などを行う。突発的に。
・観客は洞窟にも入れるが、その際はクサマラ特性防塵マスク(市販のものを改変)をご購入いただき、密対策とする。
・9/28~30日の3日間は、第2部として3人がいない状態とし、通称「無限彫刻」へと変化したインスタレーションを展示。
「外部と遮断して好きなことをやる」というクサマラの洞窟は、コロナだポリコレだコンテクストだオルタナファクトだと、あまりに複雑化した結果、高度に彷徨う我々サピエンスの社会や芸術に、単純明快な違和を突きつけるでしょう。
その勢いやリズムの無意味さを言語化できるものがあるとしたら、彼らの作品の(見た目の)類似性とともに、美術史上、比類なきほどにハッキリと反知性を宣言した、この伝説のフレーズに尽きるかもしれません。
「こうなったらやけくそだ!」
クサムラマッドラットによる東京での初個展を、どうぞお見逃しなく。
卯城竜太(Chim↑Pom)